つくば天空ロード走ってきた。
2015年8月31日 距離70km 獲得標高3,656m
↓とりあえずコース
いやはや疲れました。こんなことになるとはね(´・ω・`)
まずはリザルト 12時間37分34秒 303位/完走313人
後ろ10人しかいないしw
とにかく雨で道がとんでもないことになってたww
自分史上初めてレースで雨が降りましたよ。
補給は結構うまくいって、自分の場合30~40分に1回ジェルを取り続けるのが正解だったみたいです。それが分かったのは良かった。あと全エイドにコーラがあったのは神対応でした。。
今回レース展開が自分的にかなりドラマチックだったので、そういうのが伝わるように物語風に書いてみました。
糞長いので、暇を持て余して仕方ない人だけ読んで下さいね。
一体どれほどの距離を歩いてきただろうか…。
山の中腹は濃密な白い霧と降り続く雨に覆われていた。
54km地点のエイドステーションを出発したのは1時間以上前のことになる。
時間の感覚が麻痺してきた。一歩ずつ体の動きと記憶を確かめるように、これまでの経過を反芻する。
そもそも最初に異変に気づいたのは吾国山を登り終え43km地点の洗心館エイドステーションに到着した時だった。8kmに及ぶ長い山道を抜けて安堵の中、水饅頭を頬張る私に地元の高校生と思われる若い係員に声をかけられる。
「関門の時間は延長になりました。関門締切まで残り20分になりますので急いだほうがいいかもしれません。」
「へ?」そもそも関門時間の存在など知らなかった私は驚いた。どうやら通常時であれば11時で制限時間切れになっていた時間らしい。30分だけ伸びたのは悪天候による延長措置だそうだ。次も延びるの?と聞くとそれは分からない、との答えが返ってくる。おそらく延長はないだろうな。日没で最終時間が決まっているからだ。周りを見ると制限時間の前にも関わらずリタイヤして放心気味に毛布に包まっている男女が数名ずつ座っており、その表情がこの先に続く苛酷な道のりを予感させた。
一体どこでそんなに時間がかかったのか思い返してみる。舗装路のロード区間35kmは4時間10分とおおよそ予定通りに進行していたはず。山でそこまで急激にペースが落ちていたのか…。しかし考えてみれば無理もない話だった。要因は、舗装路を終えたあたりから降り始めた雨だ。私自身これほどの雨の中で走るのは初めてのことになる。(自慢ではないが晴れ男の私は過去あらゆる大会で一度も雨のレースを経験したことはなかった)降り続く雨で走路の半分以上がぬかるみに変わり、走ることが困難な箇所が多数を占める状況ではスピードが上がらないのは当然の話だ。
とにかく先を急がなければ、少しでも時間の余裕を作らなければならない。状況を整理し、係員から関門の時間と距離を聞き出すと、私はすぐさまコカコーラを2杯流し込み飛び出した。
下り基調のシングルトラックを急いで走り抜け48km地点の板敷き峠になんとか到着した時には12:45、制限時間15分前のイーブンペースだ。ここはまだいい。問題は次だ。
60km地点の一本杉峠に15:30、つまり2時間45分で12kmを走りきらなければならない。文字通りの山場である。通常のレースであればなんら問題のない距離だが、あいにくこの悪天候とこの悪路、のみならず燕山、加波山に至るまで大きな登りが待っている。
しかし進んでみると幸いにも、登りの半分までは心配したほどの悪路ではなかった。砂利道と舗装路がだらだらと続き、そこそこのペースで登りの中間である54km地点のエイドまで到達できた。残り1時間50分で5kmだ。これなら行ける。この時点ではエイドでソーセージパンとジェルを啜りながら、まばらになった周りの参加者と談笑する余裕もあった。そうしてエイドを出て以降、冒頭のシーンに至るのである。
登れど登れどなかなか燕山の山頂に到着しない。それどころか道は険しさを増すばかりだ。
なお、我々が登っている燕山は茨城県桜川市に位置する標高701mの山である。祖父の世代の人からは「つばくろ山」と言った方がしたしみがあるであろう。北側の雨引山、南側の加波山という位置関係になっている。南峰まで林道が続いているため、車での登頂も可能な山である。我々がいたのは林道を抜けて山道に分け入ったところだった。
「係員の笑顔は一体なんだったんだ。めちゃめちゃ辛いやんけ。そもそもあの距離表示は合ってんのか。」
周りにいたランナー4人で小集団となり半ば八つ当たりに近い愚痴を言い合いながら進む。この時間帯にもなると前後のランナーはほとんど見当たらなくなる。風雨にさらされ薄暗い森の中を走る不安から、自然と話し相手が欲しくなるものだ。
泥の地面はトレイルラン専用の靴を履いているにもかかわらずグリップがまったく効かない状態となってきた。やがて勾配が上がるにつれ、足を前に出しても滑ってしまい一歩も進むことができない状況となった。木製の階段には泥が溢れかえり、踏面を正確に捉えることは困難である。何かにつかまらないと登れないので、足元の笹や樹木を掴みながら一歩ずつ這うように進む。どろどろ地獄の中を、一体これは何という名前の苦行なのだろうか。仮に地獄であれば名前ぐらいついてもいいはずだ。
ここで我々が泥地獄に対して編み出した攻略法を、後学のための記録として記しておく。最初に考えたのが走路と木の根や草とのぎりぎりの境目を進む方法だ。このエリアは路面が荒れておらず安定しており滑りにくいためだ。しかし斜度がきつくなるとこれだけでは耐えられなくなる。そこで笹の根本に足を踏み入れると安定していることに気づく。植物に申し訳ないと思いつつ、以降走路の脇の笹藪の中を走るようになる。俗にいうヤブこぎというやつだ。しかし不運なことに(?)、時に笹の生えていない斜面もあり、その場合はどうするか悩む。最終的に万能説的に辿り着いた方法は、走路とは数メートル離れた道なき山の中を進むという方法だった。皮肉なことに、地面に葉が堆積し掴まる木があるため、自然の山の中の方が走りやすいのだ。このあたりでトレイルランという概念は喪失し、サバイバルレースの様相を呈し始める。一同に無事生きて帰るぞ、といった謎の連帯感が生まれる。
そうこうしているうちにいきおい燕山を登りきり、ややあって加波山の登り口に出る。
加波山は標高709mと南北に連なるつくば山へ続くつくば連山の中で2番目の高さとなっている。加波山は、筑波山や足尾山と並んで古来より山岳信仰の対象となっており、霊場である山中には社や祠が数多く点在し、737の神々が祀られている。現在信仰の中心となっているのは、日本武尊の東征の際に創建されたといわれる加波山神社である。
なるほど確かに来てみると神聖な雰囲気を持っている山である。雨雲に遮られた加波山の尾根は、両側に一面、深い霧の海を作り出していた。この霧により音と光が吸収され、レース中であるにもかかわらずひっそりと静まり返っている。悪天候による暗がりの中で尾根特有の風切音と走者の息遣いだけが耳に響く。太陽の光が届かないため時間の感覚も分からなくなってくる。光の失われた風景の中に、鳥居の朱色だけが忘れられぬようにと異様な色彩を放っていた。これに加えて加波山は、山岳信仰の山ときている。締め縄が巻かれた巨岩や奇岩、霊石が尾根沿いに立ち並び、それはある種の象徴として生と死の境目を予感させる。
走り疲れた疲労感と幽玄とした雰囲気に支配され、頭がぼーっとしてくる。
一体私はどこで何をしているのか。果たしてこれは現実なのか。
疲労した脚では気を抜けば踏み外してあわや転落か、という所も幾つかあり、改めて気を引き締める。
やがて加波山の山頂らしき所に出て、本宮と思われる社に辿り着く。
脇をすり抜けてようやく下山か、と思うとまた次の鳥居が見え、さらに向こうに別の社が薄ぼんやりと見える。抜けるとさらにまた次の社が…。何か無限に堂々巡りをしているようだった。何かに化かされているのか。加波山が天狗の住む山であると言われる所以も今なら自然と納得できそうだ。
ようやく御社巡りを終えた頃には制限時間は残り30分になっていた。
まったく次のエイドステーションが見える気配はない。このあたりで追い付いた走者に尋ねる。
「次のエイド、もうすぐでしょうか?」
「確か、ここからかなり下ったような記憶が…。まだだいぶ先は長いですよ。」
これは本格的にまずいことになってきた。この泥の道を峠まで30分で下りきれるのだろうか。下りというのは往々にして登りより危険なものなのだが。
60km走っての制限時間切れというのはありえない。それだけは避けたい。
よし、ここは覚悟を決めよう。もう転ぶとか関係ない。滑り落ちるように降ろう。
先行ランナーに頼んで前に出させてもらう。
振り返ってみるとここから先の下りは本日のハイライトだったと思う。
淀みなく木から木へ滑るように走る。木がないところは細い枝、笹、植物、あるいは石、重心を少し支えることができればなんでもいい。道なんて最初からなかった。脳内にアドレナリンが沸き出るのがたまらない。おかげで疲れは忘れていた。
瞬時に次の進路と着地点を判断し、手足を的確な場所へ運び着地。と同時に次の進路と着地点を吟味する。思考、実行、思考、実行ひたすらこの反復を繰り返す。時間がスローモーションに流れるように感じる。人間も動物になれるということが分かる太古からの動きだ。
残り15分…、木段の続く斜面を走り抜け、開けた場所が視界に入る。
ちょっとした広場が…、しかし残念ながらこれは偽物。まださらに続く。
さらに下る、下る、残り10分…まだ下りが終わらない。集中力を切らしてはならない。
関門リタイアとなった奥久慈の記憶がフラッシュバックする。バスの中で誰が言ったぼやきか覚えていないが、不思議と記憶に残って離れない一言がある。
「やめるのは簡単だけど、本当に大変なのはやめた後なんだよねぇ。」
確かにそうなのだ。目標を失ったレースほど惨めなものはない。
山の中でリタイアなんてできないのだ。やめてもスタート地点までレースは続くのである。
残り5分、これはいよいよ覚悟しないと、と思った刹那、下から微かに人の声が聞こえてくる。それは期待感からくる幻聴ではなかった。
関門があることを告げる声が、徐々に輪郭をはっきりとしてくる。思わず手を上げて叫ぶ。
「エイドだー!」
一同は歓喜の声を上げながら最終関門に雪崩れ込みチェックを受ける。
小集団は先行ランナーをピックアップしながら速度を上げ、最終的には10人ぐらいになっていた。
一通り皆で盛り上がった後で係員の方が、「前はしばらくいなかったからもう来ないかと思ったよ、今年はリタイアが結構多いらしい」などと言っていた。それは事実で、我々が最終便であったのを、しばらくぶりにゆっくりと取れた補給食を脇目に確認した。
これで関門はもうない。あとは時間内に完走すればOKだ。
さて、残りは2時間30分、5kmほど山を下ったあとに朝に走った5kmの平坦舗装路だ。これまでと比べると格段に楽と言って良い。ここから先はところどころ難所はあったもののそれまでと比べれば大したことはなかった。強いて言えば足尾の下りが一部ロープ地獄となっていたことぐらいだろうか。
最後のエイドでは地元のボランティアのおばちゃんが出迎えてくれた。ちょっと泣きそうになる。小集団は走りながらお互いの出身や名前について話した。
夕闇の中の田んぼ道を背に、エンドロールは蛙の声であった。
とにかく12時間30分に及ぶ厳しい冒険はかくして終わりを迎えたのだった。
完走の後、疲れ果てた私は、やはり泥のように眠ったのだった。
-完-
ここまで読むとか相当な暇人乙w
時間を無駄にしたというクレームは受け付けませんよ( ˘ω˘ )
ご視聴ありがとうございました。
コメントを残す