修善寺ロードレース走ってきました。こちらも後で整理しますが取り急ぎテキストのみ
正式名:第2回 JBCF 修善寺ロードレース
リザルト:E1 13位/119人(10.9%)
2:28’ 06” TOP+2’04” AVE32.41km/h 公式リザルト
日程:2019年3月16日(土)
天候:曇りのち晴れ
コース: 日本CSC 5kmサーキットコース(右回り) 5.0km×16周
アップとダウンしかないコース。実は自分は修善寺は一度も走ったことはない。ただ過去に走ったレースだと距離あたりの獲得標高としては古殿が近い数値だったのでイメージしやすかった。
コース1周につき3分前後の登りが2回あるので、16周×2回=計32回の3分インターバルに耐えれば良い。いや耐えられるか^^;?滞在96分はインターバルなのか?そんな疑問はひとまず置いておいて、とにかくタフなコースということは確か。そのためレース当日までに補給、練習ともに十分な対策が必要と思われた。
補給に関する準備としては、2.5時間というレース時間とアップダウンを考慮するとダブルボトルは必須。またジェルも2時間までなら体内のエネルギーだけで足りそうだが、コース特性とその先の勝負所の30分を考えると足りないので2本は持っていく。(目安で1時間,2時間時点で摂取する)加えて前日からカーボローディングを行うことで対処した。
練習の準備としては、ローラーにて3分L5インターバル×10(地獄)を試してみたりシーズンの早い段階から長距離の登坂練習をしてみたり。特に脚質的に苦手な登坂で不利にならないよう体重を落とすことを意識して59kg~60kg程度に調整してレース当日を迎えた。
1.レースを振り返る
風はやや強く吹いており肌寒い。加えてレース直前になって小雨が降り出す。伊豆半島の天気は読みにくいようだ。晴れる予報を信じて空気は抜かずに、いささか緊張感を持ちながら13:45にレースがスタートした。
最初はニュートラルで、二号橋を登りはじめるあたりから解除となる。いきなり登りスタートなのできつい。アップしておいて良かった。
遅れる選手を交わしつつせっせと登って下って登って、集団の後ろ1/3ほどでスタート地点へ戻る。1周を終えて初めてコースの全体像を把握する。確かにきついコースだ。。これを16周か。
今日は距離が長いからか入りから構えていたほど鬼のようなペースにはならず一安心である。ただ、この感じが続くと徐々に中切れが起きそうなので早く前に上がらねば。
2周目の登りで踏んで集団前方まで上がっておく。かなり脚は使ったけどとりあえずこの辺にいれば大丈夫だろう。ちょっと血の味がするけど。いかんいかん、温存するんだった。
集団前方では既に10人ほどの逃げが発生している。エカーズ、山中湖あたりのプロツアークラスの有力どころも乗っている。行きたいが20秒ほど開いておりブリッジするにはやや遠い。その時の自分の余裕の無さと周りの面子を見てまだ脚を使う段階ではないので静観と判断する。
3周目だったか残りの有力どころが登りで一気にブリッジしていく。やや回復してきたので試しに自分も付いて行ってみる。が、付近の3人で最終便に乗り遅れる形で集団との間で取り残されて芋掘り状態に。
仮にここから全力で踏んで追いついても、その後を考えるとダメージがでかすぎる。このあと2時間は自分の脚が保たない。無駄な消耗を避けて大きな集団に戻る。この辺りは古殿で学習している。
以降メイン集団と思われる第2集団で淡々と走る。先頭集団はたぶん15人ほどに対してこちらは50人くらいいる。単独で前にブリッジできそうにない以上はここで走るより仕方ない。岩島さんや雑賀さんあたりもいるしそう悪くないはず。
そして淡々と言ってもコースがあれなのでそこそこきつい。体感で平均4倍ちょい、250Wくらいの出力で最初の5周を消化する。高強度の繰り返しから腰に痛みが出てきたので隙あらばダンシングも折り混ぜるようにする。このあたりから冷静さを取り戻してきて当初の想定通り、省エネ走行を意識するようにする。
徐々に走り方を考える余裕、補給を取る余裕は出てきた。1時間過ぎた時点で1度ジェルを取っておく。このまま行けば絶対に消耗戦になることは明らか。まだ半分も来てないのかと軽く絶望を覚えるな^^;
修善寺のコースは初めて走ったけど結構クセがあって、下りからの登り返しで楽に前に出られることが走っているうちに分かってきた。全般的に下りが周りより速いようで、脚を止めてもするする前に出られる。
要因はフレーム(tarmac)なのかホイール(レーゼロカーボン)なのかボトルの重さなのか長袖ジャージの空力の良さなのか分からんけど、とにかく下りが優位である。
特に2号橋のあととスタートに戻る登り返しは下りの勢いを利用してそのまま前に出る手法が有効だった。逆に先頭で下り終えたときは後ろから勢いよく抜かされてしまって番手を落とすので損な感じ。
登り返しで番手を上げてきつい登りはマイペース、みたいな走り方を繰り返すようにする。 懸念していた登りは前より体重落としていることもあって確かにきついけど対応可能な範囲だった。
自分としてはもはや前の集団はあまり強く意識せず、いかに省エネでペースを保って走れるかに集中する。登りは軽いギアをくるくる回して、急坂はダンシング多めにして筋肉をほぐす。余裕があればドリンク・ジェル補給など、これまで身につけたあらゆる知識と技術を駆使して効率的に走ることを心がけた。
90分経過したあたりで前との時間差は3分くらいで安定する。前は前できついのだろう、徐々に人が降ってくるようになる。終盤には逃げていた前年度リーダージャージのアーティファクト石井さんも降ってきたほどだ。これまでのE1と違ってそれだけきついレースなのだろう。
こちらのプロトンは岩島さん、雑賀さん、FJTさんあたりが中心となってペースを作ってくれるので助かった。自分も先頭が回ってくればしっかりと牽く。
この辺りまで来るとメイン集団も大きく2種類の人種に分かれてきて、『勝負を諦めていない人』と『とりあえず完走できれば良い人』が前からグラデーション状に並ぶ配列となってくる。自分はどちらとも言えず中盤付近からやや前方を走る。
特に印象に残ったのはIT技術者さんことFJTさんの走りだった。ペースが落ちてくれば無言で先頭に出て牽く。その背中が淡々と何かを物語っていた。何も言っていないが走りで怒られたような気がした。甘い走りはできないと身を引き締める。
確かに残り5周くらいは集団全体のペースが目に見えて落ちていた。割合として『完走できれば良い人』の方が多くなってきて、どうしても重心が後ろのめりになる。こうなると集団は機能しない。かと言ってみんな後方の人を千切っていくほど明確な力の差はない。徐々に死んでいくプロトンはこんな感じなのだろう。
やがて2時間過ぎたあたりから、レース前の予想通りエネルギー切れを起こす人が出てくる。修善寺の2時間というのはひとつの境界線だと思う。ここまでは補給しなくても走れてしまう。
差が出てくるのはこの先だ。本来自分より脚があるはずの人でも補給が甘いと力尽きて脱落していく。自分も若干エネルギーが枯れてきた感じがしたので2本目のジェルを入れておく。いよいよ総力戦の様相を呈してきた。
ラスト3周あたりからは最後の展開を意識してあまり前に出ないようにする。申し訳ないけど自分の能力的に無駄脚を使うほど余裕はない。全体的に消耗していることもあって特筆して大きな展開もなくラスト1周を迎える。
聞こえてくる観客からの情報によると集団の頭を取ると7、8番目あたりのようだ。結構前から降ってきていたのだな。
2号橋を超えて最後の長い登りを迎える。ここはいよいよガツンと上がるかと思いきや、そこまでではなかった。どちらかと言うとじわじわとペースが上がる感じで感覚的に5倍くらいかといったところ。
ただ、『完走できれば良い人』はお先どうぞ、と中切れしていくのでパスしながら前に前にと詰める。確かにもう止めてしまいたい気持ちになるのは分かる。自分もレース中に100回くらいは止めてしまいたい気持ちになった。
ただ、ここで諦めるのは簡単なんだけど、絶対に後で後悔するのだ。諦めグセがつく。後で頑張っておけば良かったと思うのは簡単だが、実際に挽回するチャンスは二度と巡って来ない。できるのは「今、目の前のレースを頑張ること」だけである。最後まで最善を尽くそうと気持ちを鼓舞する。
集団の真ん中ほどで下りに入る。で、左に曲がって最後の登りへ。FJT氏が先頭から飛び出した。あれだけ集団を牽いてて早めに仕掛けるとは本当にすごい。気持ちが強い選手だ。結果そのまま逃げ切った。リスペクトするしかない。
自分は残った力でなんとかもがいて集団の6,7番手あたりでゴールを迎えた。結果、13位だった。
望んでいたほど良いリザルトではないが、気持ち相応の結果だったと思う。気持ちの強い選手がその順番でゴールした。自分としてはやれる限りのことはやったので後悔はない。詳しい考察は後ほど。
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